【英語記事】Fat Mike(NOFX)、解散について語るインタビュー記事【翻訳】
1983年結成、2024年をもって解散が決まった、米パンクロックの巨頭"NOFX"。
本国でのラストは10月とまだ先ですが、このエントリを投稿している今日、日本での最後の公演となる”Punk Spring 2024“の出演となります。
2023年12月に米メディア”Us Weekly”にて行われたインタビュー記事を翻訳しました。
元記事はこちら↓
パンクロックの象徴的存在“NOFX”のFat Mikeが語る、ラストツアーの話と、“Blink-182”との噂の真相:「良い関係でいられている」
結成から40年余りにして、NOFXはまもなく終焉を迎えようとしている。長きに渡って活動をつづけてきたバンドが、最後のツアーのライブ日程を発表。これまで『Linoleum』や『Bob』といった楽曲を打ち出してきたバンドが、最高の状態で最後の時を迎えると約束している——たとえ、フロントマンのFat Mikeの現在がそうでなかったとしても。
「今はシラフなんだ」Fat Mike、56歳。Us Weeklyの独占取材に対して、現在は禁酒して薬物も使用していないと話した。「半年に一度そうしてる。2、3ヶ月は飲まないよ。今はシラフの状態が気に入ってるんだ」
『Drugs Are Good』や『I am an Alcoholic』、『Everything in Moderation (Especially Moderation)』といった楽曲を歌ってきたFat Mikeは、セックス・ポジティブ(あらゆる性的活動を奨励する立場)であり、クィアを公言している。そういう経歴を考えれば、「シラフ」という状態は不釣り合いなものに見えるだろう。しかし、NOFXのベースボーカル、作詞作曲、メディアへの露出を担う彼は、2010年代の中ごろから、シラフとトリップ状態の間の調和を見出していた。そのまま引き継がれた調和によって、デンバーとニューヨーク(チケット現在発売中)、そして地元ロサンゼルスでバンドの締めくくりが行われる。
「シラフになって1ヶ月ちょっと経つよ。体重が減っててね。1日10〜15マイルは自転車に乗ってるんだ」Fat Mikeは最近、“パンクロック・ミュージアム”のあるラスベガスに居を移した。歴史的価値のある物や文化的なゆかりの品々が幅広く集められており、来訪者が実際に手で触れられるという、そこならではの体験を提供している場所だ。Fat Mikeはミュージアムを運営し、最愛のインディーレーベル“Fat Wreck Chords”の経営に携わり、そのかたわら、“Codefendants(Mikeが新たに「また悪さをする」サイドプロジェクト)”とも活動する。どれもしないときは、“悪徳都市(Sin City: ラスベガスの別称)”の“悪徳”の部分とは関わりのないところで忙しくしている。ストリップから20分ほど離れた「モルモン教徒の暮らす閑静な区域」に住み、ハイキングやサイクリング、ゴルフをしつつ、ラスベガスでシルク・ドゥ・ソレイユの『The Beatles Love』(Mikeはこれを「8回観た」と言う)などのショーを見て過ごしている。
「いろいろとさ、二日酔いの時とか酔っぱらってる時とかにはしたくないこともやってるんだ。今日も7時に起きてトランポリンで運動した後、カミさんと30分ほど散歩に出かけたよ」「だからシラフの時ってのは良いもんさ」彼はUsに対してそう話す。
その上で、「でもな、そのうち酒やクスリをまたやるだろ。そういう時間もまた最高なんだよ」と言う。「他人と本当の意味でつながるのは、そういう時なんだ。最高にダメな人生の決断ってやつをするのは、そういう時なんだ。シラフの時って、ダメな決断はだいたい避けるだろ。後悔する事が何もないような人生って、いったい何があるんだってな」
後悔? Fat MikeはNOFXのメンバー(Eric Melvin、Aaron “El Hefe” Abeyta、Erik “Smelly” Sandin)と共に、40年余りの時間を演奏に費やしてきた。彼が2022年にSpin誌に語ったところによると、『Punk Rock Cliché』という曲(収録アルバム:NOFX『Double Album(2022年)』)は、もともとBlink-182のために用意されたものだったという。
その曲をFat Mikeと共作したのは、Alkaline TrioのフロントマンでもあるMatt Skiba。2015年、Blink-182からTom DeLongeが脱退する際、Skibaが入れ替わりで加入した時のことだ。それからは万事が順調に思えた。(Blink-182の)Travis BarkerはSpin誌に対して、『Punk Rock Cliché』を披露できることに胸が高鳴っているとさえ話していた。しかし、件の曲は結局シングルとしてリリースされることはなく、アルバム『California(2016年)』にも収録されていない。
Fat MikeはSpin誌に、「怒っているわけではない」と前置きした上で、当初の予定ではBlink-182に代わって作曲し、そのまま出すはずだったと話している。しかし、Delongeの脱退に伴ってSkibaがバンドに加入するという状況でそうするのは、タイミングとしておかしいかもしれなかったのだと言う。「周りに『あー、Fat Mikeに作ってもらわないといけなかったんだな』とか言われかねないのは、彼らも望んじゃいないだろうなってのはわかる」
土壇場での決断になったであろう、このビジネス上の判断は(UsからBlink-182の代理人にコメントを要求したが、現時点での回答はない)、Fat Mike側にいくばくかの混乱を招くことになった。しかし、彼はUsに対し、Blink-182との関係はすべて良好であると話している。
「この間、あいつら(Blink-182)と会ったんだ。みんな気安く接してくれて、俺たちは友達なんだなって思うと嬉しくなった」「あの(曲の)話を始めたのは、俺たちの友情にヒビを入れるためじゃない。話したかったのはただ——あの曲をNOFXでやるってことだ。あれは世に出すべきものだったから。あいつらの方が出さないでほしいって言ったらやめるつもりだった。だからちゃんと説明しようと思った。悪意は全然ないんだぜ。でも、あいつらに会えて本当に良かった。みんな良い奴らだよ」
Fat MikeはBlink-182のバージョンの方が良いとはっきり言っているが、NOFXの『Punk Rock Cliché』は、バンドのこれまでの楽曲の集大成ともいえる音楽的特徴が表れたものであり、このバンドが40年も続いてきた理由を如実に語っている。繰り返し歌われるサビを避けている(『Bob』や『Linoleum』を始め、NOFXの楽曲はほぼ全てそうである)歌い回し。『The Idiots Are Taking Over』や『The Desperation’s Gone』、『Whoops, I OD’d』などの楽曲でも勢いを生んでいた、NOFXらしいFat Mikeのベースライン。 Sandinのドラムは、バンドが1991年に『Ribbed』を産み落とした時さながらの激しさ。MelvinとHefeのギターが、火のついたスケートボードのごとく押し寄せ、『Punk In Drublic』を現代パンクの名盤たらしめたころの演奏を彷彿とさせる。
Barker、DeLonge、Mark HoppUs(Blink-182)との友情はFat Mikeの口から改めて確認されたわけだが、一方で彼とHayley Williams(Paramore)の間には、依然として清算されがたい禍根が残っている。1月、Billboard誌の取材に応じた34歳のWilliamsは、Paramoreが出演した00年代後半の“Warped Tour”で、Fat Mikeが彼女に関する卑猥な冗談を飛ばしたと訴えた。
Fat Mikeは4月に“Punk Rock MBA Podcast”に登場した際、あれは当然冗談だったし、15年も前のことだと前置きしつつ、それでも当時の自分の発言は「性差別的」であり、「自分が言ったことはクソだった」と認めた。その上でWilliamのマネージャーに連絡をとり、本人に謝罪しようとしたが、「彼女は俺の電話に出ようとしない」と話した(UsからHayley Williamsの代理人にコメントを要求したが、現時点での回答はない)。
NOFXの「命日」は定まった(最後のライブは10月6日、ロサンゼルスの“Berth 46”で行われる)が、バンドの死の責任を取って、Fat Mikeが各方面に償わなければならないというものではない。「パンクロックの世界では、敵なんていないんだ」NOFXがいなくなると分かった今こそ、積年の恨みを晴らそうとする人が出ているのではないかというUsの質問に対して、Fat Mikeはこう説明した。
「長いこと一緒にやってきたもんだから、もう二度と会わなくなるやつもいるんじゃないか」思い返しながら言う。「でも実際、みんな最後のライブに来たがるんだ。で、俺らはチケットを売り付ける。絶対観たいと思ってんだろうから、がっつり値段を釣り上げてやる。今回は過去イチでチケット代を高くしたんだ。それでも『これが最後だから』って、誰も文句を言いやしないのさ」
パンク界で最も偉大なリーダーの1人らしい、いつもの皮肉な語り口を見せるMikeだが、そんな彼でもラストツアー最初の公演には胸に来るものがあったと話す。「長い付き合いの連中に別れを告げてるんだ。でも、こんなに最高の気分になっちまうのは、こんなに胸にグッときちまう理由は、これが現実(real)だからなんだよ」「世のバンドはいつも『ラストツアー』をやるもんだが、いつもそういう気分につながるわけじゃない。そうなるのは『演るのはこれで最後』って時さ」
では、最終公演の日取りが公表された今、Fat Mikeは何を感じているのだろうか。「本当に良い気分なんだ」そう言ってからすぐに付け足して、「変な感じだよ。誰にもこんな経験できるもんじゃない。『さよなら』と『ありがとう』を言う機会なんてそうそうない。何だかみんなの通夜に出てるみたいで、長年応援してくれたファンにさよならを言う機会をもらえるのは光栄な気分さ」と話す。
だが、NOFX自身の慰霊の式典を開く想像をして、Fat Mikeは笑う。「献花代を取ろうと思う。俺たちの通夜には酒代と花代がかかるんだぜ」
これから11ヶ月ほどで、計画することがたくさんある。Fat MikeはNOFXが最後に演奏する曲についてまだ決めかねている(「それには答えられない」と言った)が、最後のライブではそれまでに誰も聴いたことのない新曲を披露するということ、最後のライブまではその曲を誰も聴くことがないということは、明かしてくれた。
「俺にとってとても大切な曲を作ったんだ。全身全霊、渾身の一曲さ」このことを考えると少し胸が詰まると話す。「この曲は俺の心の中にある。割と長いこと曲作りしてたよ。あんまり感情を漏らさずに演奏できるかわかんないな。何せ1回しか演らないんだ。しかもそれが最後のライブだからね」
その時が来るまで、多くの新曲がNOFXのファンの耳に届くだろう。「ちょうど『Half Album』のアートワークを仕上げたんだ」とFat Mikeは言う。『Single Album』と『Double Album』のレコーディングセッション時に制作された最後の楽曲群だ。
そこからさらに、NOFXには「完成させられなかったアルバムが1作」あると言うFat Mike。話によると15曲ほどができており、さらに30曲以上の未完成曲があるという。「まだ分からないんだが、たぶん(NOFXとは)これ以上のレコーディングをしないと思う。ただ俺の手でこれらの曲を仕上げていくよ」
Fat Mikeにとって、NOFXとのレコーディングは今でも楽しいことだ。ただしライブは、そうではない時期があった。「ライブを楽しむには、ステージに上がる前にとりあえず酔っぱらわなきゃならなくなったんだ」「それで12ヶ所以上のツアーはできなくなってしまった。そんなに身体をいじめるようなやり方はしたくないからな。毎晩ステージに上がるのが嫌だったね。『演りたくねえ!演りたくねえ!演りたくねえよ!このまま飲んだくれていようぜ』ってね。もうそんな生き方はごめんだよ」
「今回のラストツアーは違う。サヨナラを言うだけってのがアガるからな」「『マジかよ、(オレゴンの)ポートランドで演るのは今回で最後じゃねえか。ここでいろんな事があったよなぁ』とか、『もう二度とやらなくていいんだな、じゃあ思いっきりやってやるぜ』とかいう感じ。で、実際ここまでのライブは思いっきりできてる。そんなわけだから、店じまいするのに大賛成なんだよ、俺」Fat Mikeはそう話している。
NOFXを終わらせる時が来たことを悟ってから、「ライブがここ何年かよりもずいぶん楽しい」ものになったというFat Mike。今、彼は恐怖よりも、興奮を抱いてライブに臨んでいる。
NOFXは解散するものの、Fat Mikeも他のメンバーも、『Mattersville』の歌詞にうたわれるような、パンクロック隠遁者たちの村に引っ込もうとはしていない。2022年12月、Fat Wreck Chordsは“Bottles To The Ground Records”という商号の設立を発表。これは、NOFXのメンバーが中心となって企画・所有するレーベルである。 Eric MelvinはパンクとEDM、ヒップホップ、ファンクを融合させた自身のプロジェクト“Melvinator”を始動。 El Hefeはドラマ『Mayans M.C.』シリーズに出演。Smelly(Sandin)も自身のサーフ&スケートボードブランド“Pickle Stix”を立ち上げている。
さらに、NOFXでやれることもまだ多くある。『Half Album』によって三部作は完成となるが、例の「最後のアルバム」の件が残されている。それからメンバー4人が金銭面での先行きを安定させるための大きな一助となっている、ラストツアーがある。フェスイベント“Punk In Drublic”も、物販の手数料を引かれるなどの心配をせずとも、儲けを確保させてくれる会場で行われてきたのだ。
「だからだよ、(解散が)良いのは」Fat Mikeはそう言って取材を終えることにした。Bad ReligionのBrett Gurewitz(NOFXの1stアルバムをプロデュースし、自身のレーベル“Epitaph Records”で7枚目までのアルバムをリリースするなど、NOFXを初期から厚く信頼している人物)にパンクロック・ミュージアムを案内することになっているため、急がねばならないらしい。「というのもぶっちゃけ、初めて言い合いになったのはコロナの時なんだ。何せライブができなくて、カネの問題が出てきたから」そう言い置く。
「割と何回かケンカになったよ」「それまで口論になったことなかったぜ。『カネの事どうするんだよ』ってね。で、今こうやってラストツアーをしてたら、これまで以上に客が入るようになって、カネの心配はなくなった。それで、俺たちは良い関係でいられてる」
(記事はここまで)
まもなく幕引きを迎えるパンクロックの伝説、40年もやっていれば良いことも悪いこともあるものですが、みんな心身の健康を保って次のステージに進んでほしいものです。
では。